【DEIBA/個と組織⑦】優しさと自己犠牲の誤解
「優しさって、どこまで?」──境界線の引き方と、チームにおける“思いやり”の誤解
「自分のことより、つい相手を優先してしまう」
「頼まれたら断れない。嫌われたくないし、気まずくなりたくない」
「本当は限界なのに、“大丈夫です”って言ってしまう」
これは、いずれも“優しさ”に見えます。
でも、その優しさが自分を追い詰めていたら?
本音を飲み込み、余裕を失い、チームの中で“いつもいい人”でい続けようとするうちに、
人はだんだんと、自分の感情と境界を見失っていきます。
「優しさ」と「自己犠牲」は違います。
だけど、私たちはその境目を、誰にも教わってきませんでした。
特に日本の職場では、「チームワーク」や「協調性」という言葉の下に、
“不快な思いをさせない”ことが最優先され、
気持ちを我慢することが“思いやり”とみなされがちです。
その結果、“やさしさ疲れ”が起こります。
誰かに尽くしているようでいて、本当は「嫌われないために」動いている。
「断れない優しさ」は、やがて自己否定につながり、
しまいには、相手との関係すらギクシャクさせてしまうことがあります。
ここで必要なのは、「私はここまで」「これは私の役割じゃない」と
静かに境界線を引ける強さです。
それは、冷たさではなく、“本当のやさしさ”のあり方。
健やかなチームの関係性は、「正直な距離感」と「無理のない優しさ」の上に築かれます。
あなたは今、「優しさ」の中に、自分を置き去りにしていませんか?
その思いやりは、誰のためのものですか?
前の記事へ
次の記事へ